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代表/平本あきお
平本コラム「アメリカ体験記 1」

一昨日、唯一の親戚である大阪の叔父さんが危篤だと電話がありました。
背中から骨が突き出そうで、意識もほとんどないそうです。 私が日本に帰国したことを知った従兄弟が、知人から連絡先を聞き出し5年ぶりに電話してきたのです。

思えばあの星飛雄馬の父のように頑固一徹で、家族公認でめかけを囲うほどワンマンで、自社工場の旋盤機で指が3本吹っ飛んでも気にしないほど強靭な叔父さんが死にかかっているというのは私には信じられません。

阪神大震災で亡くなった私の両親の命日である今日1月17日、その叔父さんが私に与えた絶大な影響を思い返しています。

阪神淡路大震災の4日後、私の両親がまだ潰れたアパートの下敷きになっていると知りました。 翌日始発で大阪に行き、そこから数時間後、乗り捨ててあった自転車で実家にたどり着く。 アパートを経営していた両親が住んでいた1階は完全に大破し、2階が地面に落ちていました。

やっとたどり着いた私を、叔父さんは、「おかあちゃん、今あがったから、会い!」
と言って、道端に横たわった母の遺体のもとへ連れて行く。私は天と地がひっくり返ったように動転して泣き狂う。間もなく次々と遺体を運ぶトラックが容赦なく私の母も積んで行きました。

その直後、叔父さんは生き残った私の兄(軽度の発達遅滞のある)をその場から
はずし、放心状態の私を道端に倒れた冷蔵庫に座らせる。 私はそっと心の中で、どんなにこの叔父さんが私を慰めてくれても、この辛さは癒されないと思ってました。

するとおじさんは、大声で私を怒鳴りつけるのです。 「あきちゃん、ええか、兄貴があんなんやから、お前がこの家の後始末、全部一人でせなあかん! それが2、3週間や1、2ヶ月で済むと思うな!半年かかるか、1年かかるか分からへん!

お前が東京でどんな学校行って、なんの仕事してるんか、わしには関係あれへん。今すぐそれ全部辞めてまえ! このまま神戸残れ! ええか! お前がそうせえへんのやったらわしがな、弁護士入れて、お前と死んだ親の縁、全部切ってもうたるからな! 二度とここに戻って来られへんようにしたるからな!!!」

ショックと同時にとてつもない怒りを感じた。(このおっさん、ぶちころしたろか!)
心でそう叫んだ。 その怒りはあまりにも強く、もうめそめそしているどころではありません。 (おっさん、みとけよ!わしが全部終わらせたるからな!)

それから、アパートの解体、住人の面倒、親が土地を担保に残した借金、その他、気が遠くなるほどの課題を着実にこなしていったのです。

私はもう悲しみに打ちひしがれたかわいそうな孤児ではありません。結局、それまでの仕事を辞め、4ヶ月そのまま神戸に残って後始末に奮闘しました。今思えば、とてつもなく充実し活力にみなぎった毎日でした。

事後処理がすべて終わった時、ふと気づいた。
もし、あの時叔父さんが怒鳴ってなかったら、私には何もできなかったということに。 叔父さんがやさしく慰めてくれていたら、私はきっと落ち込んだまま、何もせず、すぐに東京に戻って来たはずです。

あれ以来、心から叔父さんに感謝しています。 戦中戦後、何の資産も技術も教育も親もなく、裸一貫で今の工場をたたき上げてきた叔父さんに、私は生き抜く強さを教えられた気がします。